わずか三デニール 足らずの繭糸から生まれる 純白の白生地

 株式会社大塚は、徳川吉宗が八代将軍につく享保二年(一七一七)、初代保多屋吉兵衛が近江国(滋賀県)において織物卸業を創業して以来、明治時代に京都三条高倉に出店、大正時代、現在の地に移転し、主に白生地を扱う問屋として現在に至っています。

 蚕が吐き出す糸を束ねた生糸で織った白生地は、糸の撚り方や組織(織り方)によって様々な表情が生まれ、種類は無限大にも及ぶといわれています。また、織り上がった後で染められることから後染め織物ともいわれています。

 着物はできるだけ裁断を少なく仕立てたものです。体型の変化にも対応でき、洗い張りや染めなおしをすることで、新しい着物に生まれ変わらせることができます。使用に耐えられなくなったものは、下着や布団、さらには古裂布として、長い年月をかけて私たちの暮らしの中で、大切に使い継いできた愛おしい文化があります。

 私たちは、この絹の持つ特性や価値を後世に伝えていくとともに、お客様のご要望に応えられるよう、織物の産地とお客様とを繋ぐお手伝いをいたします。

株式会社大塚商店時代の絵葉書より機織工程 会社正面写真 現在の株式会社大塚社屋

様々な用途に使われる絹

●和装用「白生地(後染め):表地、裏地(胴裏・八卦)、長襦袢、
		帯」「先染め着尺(紬など)」「帯 ※西陣織は先染めの帯」「小物(帯揚げ、帯締めなど)」 ●洋装、洋品 ●インテリア、寝具
		●工業用品、医療用素材 ●化粧品、食品 ●邦楽弦楽器原糸、美術・工芸品


邦楽弦楽器原糸

着物になるまで

着物になるまでのフロー図(1.養蚕→2.製糸(生糸)→3.機織→4.精練。仕上げ→5白生地問屋→6.呉服卸 メーカー→7.染・加工→8.全国呉服屋)白生地問屋からは呉服メーカーに企画提案をします呉服降ろし、メーカー側はご意見・ご要望を白生地問屋に返します。それを元に機織工程に企画・提案を行います。

*着物一揃い(着尺、襦袢、八掛、帯、帯揚げなど)に必要な生糸と桑は、繭約12,000粒、生糸約4.9kg、桑約450kg(着尺一反に必要な生糸と桑は、繭約2,600粒、生糸約1kg、桑約98kg)
※蚕種や反物の種類により数値に違いがあります。

*デニール(denier)とは、9,000m=1gの糸の太さのこと。人間の髪の毛は約50デニールといわれています。また生糸の太さは「中(なか)」と表され、例えば「26中」とは平均26デニールの糸のことを指しています。

大塚取扱いの主な白生地

その他、各種ちりめん(撚糸・紋)、駒無地、広幅生地、襦袢、ビロード 等

沿革

享保2年(1717) 近江国(滋賀県)において保多屋吉兵衛により織物卸業を創業
明治26年(1893) 京都三条高倉に本社機能を移転
明治43年(1910) 東京の百貨店の依頼を受け、右撚り・左撚りの緯糸(ぬきいと)を一本ずつ交互に織り込んでいく「一越ちりめん」を開発
明治45年(1912) 長浜にてルーチ製織機(機械動力式織機)を導入し、大塚本店工場を操業
大正3年(1914) サンフランシスコにおけるパナマ運河開通記念パナマパシフィック国際博覧会にて金牌受賞
東京大正博覧会にて有功賞、金牌受賞
大正9年(1920) 現在地に移転、株式会社大塚商店を結社
昭和8年(1933) 三角形に月桂樹の葉をあしらった「うろこ印」が商標登録される
昭和45年(1970) 「明雲縮緬」が第十二回滋賀県繊維製品品評会において通商産業大臣賞を受賞
昭和61年(1986) 「暁雲縮緬」が第二十六回滋賀県繊維製品新作発表会において通商産業大臣賞を受賞
平成6年(1994) 「錦華」が第三十六回滋賀県繊維製品新作発表会において通商産業大臣賞を受賞
会社正面写真

株式会社大塚

〒604-8133 京都市中京区六角通東洞院東入滕屋町187番地の2
(GoogleMap)
TEL : 075-221-1567 FAX : 075-255-2360

信頼の証「うろこ印」

うろこ印ロゴ

「うろこ印」は白生地の大塚のブランド。
三角形に勝利・栄光を象徴する月桂樹の葉をあしらっています。右に8枚、左に9枚の葉は「破竹(ハチ・ク)」の勢いで栄えるように、三角形はその形のように揺らぐことのない商店でありたいとの思いが込められています。
その三角形が厄除けの意味を持つ蛇の鱗に似ていることから「うろこ印」と呼ばれるようになりました。

お問い合わせ・資料請求

弊社へのお問い合わせ・資料請求は下記のメールフォームよりご連絡ください。

keyboard_arrow_rightお問い合わせフォームへ

Special Contents白生地のなりたち

keyboard_arrow_right詳しく見る